■野球の歴史やMLB、日本の野球について解説します。
野球の歴史
野球の発祥
野球の発祥やルーツには様々な説があり、他のスポーツなどと同じく、古代より人間の闘争本能の発露として、或いはある種の娯楽や遊戯として、現在のスポーツ競技の原初的な形のものが世界の色々な地域で行われていたと察せられます。
現在の野球(ベースボール)に近い形のものが出現するのは、まだ中世と呼ばれていた時代のイギリスで、この頃すでに現在のボールほどの球状のものを、長い棒や板で打ち返し、地面に敷かれた四つの小さな石版などを一周まわってくるというゲームが盛んに行われていました。このゲームを「ラウンダーズ」と呼び、このゲームと似通った他のゲームも合わせて、ルールが擦り合わされつつ、しだいに現在の野球の原型が形作られていきます。
アメリカへ
1700年代の後半になるとアメリカでも“ベースボール”という言葉が登場し、1800年代の中盤近くには、アレクサンダー・カートライトという男性の手により、細かなルールが作成され、1846年の6月19日には、記念すべき初めてのベースボールの試合が行われることになります。ただし、ルールが作られたといっても、この頃はまだ21点先取制で、ワンバウンド捕球もアウトとなるなど、まだまだ改良の余地を多く残していました。
ルールの収れん
1800年代の後半には、様々なルール変更が行われます。当初、投手はアンダースローのみが許されていましたが、サイドスローやオーバースローが認められるようになり、ボールも9つで塁が与えられていたのが、1889年には現在と同じ4つのボールでワンベースが与えられるようになりました。投手から本塁までの距離が18.44mと、現在と同じになったのもこの時期のことです。
プロ野球の誕生
世界で初めての職業野球チームは、大学生を中心にして作られた「シンシナティ・ベースボールクラブ」をルーツとする、「シンシナティ・レッドストッキングス」で、このチームの対外的な成功を皮切りにして、各地域に続々とプロチームが誕生しました。1876年には、ナショナルリーグが開設され、輝かしいメジャーリーグの歴史が華々しく始まりの時を迎えることになります。
1882年には、ナショナルリーグに対抗するという形で、アメリカン・アソシエーションが設立されましたが、1891年にはリーグ運営が破綻し、その間に設立された各チームはナショナルリーグに統合され、再び1リーグ制に戻ることとなります。
1900年に入り、ナショナルリーグはチームの統合改編が行われ8チームとなり、マイナーリーグとして運営されていた「ウェスタンリーグ」がアメリカンリーグとして、メジャーリーグに格上げされることになります。そして、1903年には、両リーグの優勝チームによる初めてのワールドシリーズが開催されることになりました。
二度の大戦を経た後も、数々のスタープレーヤーが登場し、歴史に残る名勝負が繰り広げられることになり、観客動員も増加の一途をたどっていきます。1947年には、黒人選手のジャッキー・ロビンソンがメジャー契約を結び、その後の彼の活躍により、多くの黒人プレーヤーにもメジャーリーグへの門戸が開かれることになります。
1960年以降、新たなチームの誕生や統合が行われ、1994年には両リーグとも3地区制となり、全30チームによる新たなメジャーリーグへと移行することになります。
日本人選手の活躍
日本人メジャーリーガーの誕生
初の日本人メジャーリーガーは、元南海ホークスで、その後阪神タイガースなどで活躍した、現野球解説者の村上雅則氏です。村上氏は南海ホークスに在籍していた1964年に、野球留学として、サンフランシスコ・ジャイアンツの1Aチーム「フレズノ」に参加し、同年8月31日にメジャーリーグに昇格、9月29日にはリリーフとして登板し、ジャイアンツがサヨナラ勝ちしたことで、日本人投手として、メジャーリーグにおいて初めての勝利投手となりました。同氏は翌年までジャイアンツに在籍した後、南海ホークスに復帰しています。
村上氏がメジャーリーグに在籍した後は、長い期間日本人メジャーリーガーは誕生しませんでした。それは、日本野球機構がメジャーリーグ移籍を認めなかったことに加え、2リーグ時代のメジャーリーグのレベルの高さが障壁となったからです。その頃の日本人選手にとっては、メジャーリーグは夢のまた夢の存在になっていたのです。
野茂英雄の挑戦
そのメジャーリーグ移籍の分厚い壁に風穴を開けたのは、他でもない野茂英雄投手でした。1994年にメジャーリーグが30チームへと拡張したことによる、選手全体のレベル低下も追い風となり、近鉄バッファローズを退団し、ロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄投手は、トルネード投法から繰り出される、150キロ越えの豪速球と鋭く落ちるフォークボールを武器に、2人目のメジャーリーガーとして、二度のノーヒットノーランをはじめとした、メジャーリーグの歴史に名を残す大活躍を遂げることになりました。
その後の日本人選手の活躍は述べるまでもありません。日本人野手はメジャーリーグでは通用しないという評価を、完膚無きまで覆したイチロー選手をはじめとして、ワールドシリーズでMVPを獲得した松井秀喜選手、救援投手としてセーブ王となった、大魔神佐々木投手などが華々しい活躍を見せてくれました。そして現在では、日本人選手はチームの中心選手として、勝敗を左右する必要不可欠な存在となっているのです。
日本の野球の歴史
イギリスで生まれ、アメリカで大々的に普及した野球(ベースボール)は、1871年にホーレス・ウィルソンというアメリカ人英語教師の手によって、日本に齎されました。その後野球は大学生を中心にして、一気に全国的な広がりを見せます。その人気は高校生にも浸透することになり、甲子園球場での全国大会が開かれるようにもなります。
1931年には、読売新聞社がメジャーリーグの選抜チームを日本に招き初の日米野球が行われます。さらに1934年には、学生を除いたチームが結成され、沢村栄治投手などが活躍しました。このチームは大日本東京野球倶楽部となり(後に東京ジャイアンツと改称)、大阪タイガース、東京セネタースなどと共に、日本初の職業野球リーグが設立される事になります。
その後、太平洋戦争を経て、1950年に、セントラルリーグとパシフィックリーグの2リーグ制が始まることとなり、野球人気の拡大と共に1953年にはテレビでの野球実況放送が始まります。1958年には、立教大学で当時の六大学リーグでのホームラン記録を作った、長嶋茂雄選手が読売ジャイアンツに入団。翌々年に入団した王貞治選手と共に、プロ野球黄金時代を形成していくことになります。